日本でグラフィックデザイナーとしての新しい挑戦- ジョーさん
日本でグラフィックデザイナーとしての新しい挑戦- ジョーさん
サンフランシスコで大成長させたデザイン会社のポジションを手放し、日本という全く新しい環境の挑戦を選んだジョーさん。グラフィックデザイナーとしてのキャリアを築き始めた今までの奇跡について話を伺った。
Posted by Yukiko Watanabe on February 9, 2013 – Testimonials
Click here for English
新しい挑戦
ジョーさんが日本に住むことを決めたのは2013年。2002年にArt Schoolで出会った日本人の奥様と日本という新しい環境に挑戦してみたいと思ったのがきっかけだった。
6年前に手伝い始めたスタートアップのデザイン会社が大きく成長し、自分の事業である洋服デザインの会社も順調に稼働し始めたころのことだった。同僚やパートナーに引き止められながらの決断だったという。
「サンフランシスコではスタジオルームで始めたビジネスを1棟のビルを占有するまでに成長させました。達成感とともにそろそろ新しい環境にチャレンジする時期だと思い始めたのが来日を決めたきっかけです。日本には奥さんと毎年来日して、いつかは住んでみたいと思っていましたし。」
来日後に感じた壁
日本に来たもののこれから何をしていこうかと考えた。完全にまっさらな環境の中で、自分の選んだ挑戦が想像以上に大変なものであることにも気づき始めたという。来日後数ヶ月は住み慣れた環境、大好きな仕事や友人たちと離れたことでホームシックも感じたというジョーさん。
「でも自分はもうチケットを買った。だからライドを楽しむべきだ」
自分で始めた挑戦をしっかりとやり抜く気持ちは強かった。自分はこの挑戦を成功させるために1年〜2年は日本語の学習にしっかりと投資しようと決めた。
うちの近くの日本語学校を見学したが、中国出身の方ばかりの20-30人の大きなクラス。ここで勉強するのは無理だと思った。家族の協力でILS(現在のCoto)を見つけ、カジュアルな雰囲気と少人数のクラス、会話中心のレッスンだという点が気に入り、インテンシブコースを4ヶ月受講した。
「インテンシブでは日本語に集中できる環境が作れてよかったと思う。勉強する体力のようなものが身についた」
転機ー日本語力と仕事を得る
その後プライベートレッスンに切り替え勉強を初めて半年、2014年のお正月にたまたま友達に誘われたパーティーに一人で参加したときのこと。英語ができる人が全くいない中、気がついたら日本語だけで一晩コミュニケーションが取れた。。わからない時は聞き返したり、もうちょっとゆっくりとお願いしたり。これでいいんだと日本語でコミュニケーションをすることに自信をもつよい転機になったという。
来日から約1年後、パートタイムでのグラフィックの仕事を得て、日本語と英語が使える環境で仕事をするようになった。少しずつ日本語でのコミュニケーションに自信がついて来たジョーさん。現在では会社での仕事に加えて、フリーランスの仕事も順調に入り始めたという。フリーランスの仕事はクリエイターのイベントなどネットワーキングで出会った紹介によるもの。イベントでの会話はほぼ日本語で行うそうだ。
次の目標は?
今はネットワーキングで知り合った日本のスタートアップの会社のサポートをするのがとても楽しい。自分で仕事をうけるだけでなく、日本のアプリ会社がサンフランシスコでイベントをする時、現地のクリエイターを紹介したり、また現地の会社とつき合うためのアドバイスなども行う。
ビジネスを作ることは、新しいカルチャーを作ること、より多くの人をインスパイアすることだという。自分はそういう環境がすきだし、そんな人たちを応援することにやりがいを感じるというジョーンさん。
「日本とサンフランシスコではカルチャーが全く違う。
自分は日本とサンフランシスコをつなぐブリッジになれたらいいと思う」
何も考えなくてもすらすらと日本語で会話ができり状態になりたい、というのが日本語レベルの目標。それまでは日本語のレッスンを続けるという。
ジョーさんの挑戦はまだ始まったばかりだが、挑戦はこの1年半で確実に進んでいる。
これからも本来のポテンシャルを存分に発揮して日本での活躍の場を広げてほしい。